桜、満開


 「うわぁぁぁ、ねぇ、本当に葉っぱが赤いよ!」

  紅葉に彩られた並木道を歩きながら、子供のように――実際、子供と呼んでも差し支えなかったが――はしゃいでいるのは、クルルだった。金色の長い髪をポニーテールにした、大きな目が印象的な少女。その目には、赤や黄色に彩られた、未知なる世界しか映っていないように思われる。

 「だから言っただろ? 秋になったら、葉の色が変わるんだって」

 「だってー、実際に見るまで、信じられなかったんだもん!」

  どうやら、向こうの――つまり、クルル達の住む世界では、「四季」というものがなかったらしい。こちらの世界でも、ちゃんとした「四季」がある地域は限られていて、レナやファリスが住むタイクイーン一体も、その例に漏れず。四人の中で、春夏秋冬を肌で感じたことがあるのは、バッツだけだった。

 (ま、俺も見るのは久しぶりなんだけどな)

  久しぶりの紅葉。久しぶりの帰郷。なのに、長い時を隔てていたとは思えない。いつでも心の中に、その風景があったから。

 「これは……秋ってやつか?」

  隣を歩いていたファリスが、紅葉から目を離せないまま尋ねてきた。

 「あぁ。秋にはな、今みたいに――葉が赤や黄色に染まるんだ。『紅葉』って言うんだが……。紅葉だけじゃなくて、この道に落ちてる落ち葉や――」

  歩くたびにかさかさ音がするのは、そういうわけで――道全体が落ち葉で埋め尽くされている。ファリスはようやく、視線の向きを変えた――自分の足元に。

 「それから、向こうにあるコスモス畑なんかも、秋しか見れないものだよ」

 「コスモス?」

  その言葉に反応したのは、レナだった。斜め前を歩いていたので、顔だけ振り返っている。

 「この村には……コスモスが、あるの?」

 「あるよ。……レナ、コスモスに興味あるのか?」

 「ん〜、ちょっとね」

  今度は、身体ごと後ろを向いた。自然、歩みが止まる。

  レナは、文句なしに美人だと思う。クルルは何かある度に、「お姉ちゃんは美人だから」と言うし、ファリスも一度だけ、漏らしたことがある――彼女はあまり、人の容姿について形容しないから、これはかなり珍しいことだ。とはいえ、そんなファリスも、美人の部類に余裕で達していると思う。レナとは種類が違う美しさ。レナが草原に咲く一輪の花なら、ファリスは草原で獲物を狙う、野生の獣のような――。

 (んな誉め方されても、嬉しくないか)

  詩人ではないので、月並みな表現しか思いつかない。ただ、2人は全く違う雰囲気を纏っているのに、漠然と似ていると思ったことがあった――確か、タイクイーンに帰還した時――初めて女らしい格好をしたファリスを見た時――。

  やはり、この2人は姉妹なのだ。

 「タイクイーンに来た吟遊詩人がね、言ったのよ」

  その妹の方が、肩をすくめながら話している。

 「わたしの髪は、コスモスのような色だって」

 「へぇ……」

  レナの髪は、単純に言うならばピンク色だった。光の当たり具合によって、薄くも濃くも見える、不思議な色。

 「その後、コスモスについていろいろ語ってくれたのよ……。その話の内容は、あんまり覚えてないんだけど」

 「それで興味湧いたってわけか」

  ファリスが言うと、レナはまた前を向いて歩き出した。白い雲がふわふわ漂う、どこか切ない秋空に目を向けて。

 「興味っていうか……どんな花なのかなって」

  風が吹き、髪がなびく――その髪の色は、確かにコスモスに似ているのかもしれない。バッツは目を閉じた。秋の桜とも言われる、鮮やかなピンク色。一面に広がるコスモスの畑が、瞼の裏に蘇る。

 「どうなんだ?」

 「え?」

  目を開けると、ファリスが顔を覗きこんでいた。レナは相変わらず、空を見ている。

 「レナの髪。本当にコスモスの色なのか?」

 「あぁ……そうだな……」

  バッツはにやりと笑った。

 「自分で確かめてみたらどうだ? 村の奥にあるぞ」

 「そうね……」

  レナはもう一度、振り向いた。バッツと一瞬――本当に一瞬、見つめあい――、

 「クルル!」

  ぱっと、前を向くと、クルルの方へ走って行った。

 「村の奥に、コスモス畑があるんだって。行ってみない?」

 「こすもす?」

 「花の名前よ。秋にしか咲かない花なんですって」

 「へぇぇぇぇ。それは、見ておかなきゃね!」

 「でしょう?」

  なんてことを話しながら、2人は早足で進んでいった。

 

  やがて、姿が見えなくなってから、ファリスは口を開いた。

 「何か……あったのか?」

 「何かって?」

  残された2人も、ゆっくりと歩を進める。

 「……向こうに行く直前、レナが……妙な表情を……してたような……」

  うまく言えないな、と呟いて、手を顎に当てた。緩やかな風に、ファリスの長髪がなびく。彼女の髪は、ピンクというよりは、紫だった。神秘的な、高貴な色。それを見つめるバッツの視線に、彼女は気づかない。

 「そりゃぁ……俺の気持ちを察してくれたんだろうよ」

 「は?」

 「これで二人っきりになれただろ?」

  バッツのウィンクとこの一言に、ファリスは一瞬目を丸くし――そして、顔を赤らめた。

 「な、何言って……!」

 「それにしても――」

  うろたえるファリスにかまわず、バッツはさっさと話を変えた。

 (この野郎……)

  バッツは、時々こうなのだ。ふいに、歯の浮くような台詞を言う。自然に、さらりと。そして、流してしまう。悔しいが、話を元に戻すだけの勇気はない。

 「タイクイーンって、確かに四季の移り変わりがないよなー……ひょっとしてお前、桜とかも見たことないのか?」

 「桜? 聞いたことはあるけど……」

  薄いピンク色で、木の枝に数え切れないほどの小さな花を咲かせる……としか聞いたことはない。

 「そりゃ、もったいないな。リックスは――」

  バッツは、遠くを見つめる目をした。時々、彼はこんな表情をする。掴めそうで掴めない青年。きっとこの戦いが終わっても、こんな表情で世界を回るのだろう。誰にも縛られず、その日の食料と見知らぬ大地を求めて。

 「リックスは、桜並木が一番綺麗だよ。春になると、この辺り一体桜吹雪さ」

 「桜……吹雪?」

 「あぁ。桜の花びらが、ばーって。雪みたいに降るんだよ」

  などといわれても、ファリスは想像すらできなかった。桜という花自体見たことないのだから、仕方ないのだが。

 「見てみたいな……」

  我知らず、呟いていた。

 「いつか……」

 「え?」

  バッツの視線は、ファリスへと注がれていた。

 「いつか……来よう。桜が咲く季節に――」

  優しい瞳。微笑み。言葉。そして、沈黙。海のような、静かな時が流れ――そして――

 

 

  光景が暗転し――徐々に周りが見えるようになった。どうも、薄暗い。目が慣れてきて、初めてここが、タイクイーン城の自室だと気づいた。

 (夢……?)

  やけに疲れている体を無理矢理起こした。どうも、ドレスのままベッドで眠り込んでいたらしい。机の上の時計は、ちょうど一時を指していた。

 (今更あんな……)

  ファリスは軽く頭を振ってベッドから降り、バルコニーに出た。眠れない時には、よくここでひと時を過ごす。 

 (何だろう……)

  バッツの故郷、リックスに行った時の夢だ。初めて訪れる地なのに、どこか懐かしさを感じたことを覚えている。

  あれが、故郷というものなのだ。本当の。

  比べて自分の故郷は……。

 (窮屈なお城、か)

  嫌いではない。だが――何か足りない。郷愁とでも言うのか……。

 (郷愁か――らしくもない)

  いつになく情緒的になってしまった自分をあざ笑い、宙を見つめた。

  夢とは、本人の願望か、前世の記憶かを表すと聞いたことがある。

  願望――ア・イ・タ・イ。

  ここ数週間、それだけが胸を支配していた。自分でも驚くほど。不安になるほど。

  風が、吹く。紫色の髪が、さらさらとなびく。冷たい夜風は肌を突き刺したが、かえって心地良い。今日は少し曇っていたらしく、星はほとんど見えない。月も出ていない。暗い透明な空と、地平線の境が分からない。

 (何だ……?)

  だから、気づかなかったのだ。

  ファリスの部屋は、城の2階だった。中庭に面しており、バルコニーのちょうど真下に当たるのだが。

  その中庭に人影がいると。すぐに気づかなかったのはきっと、月が出ていないせいだ。

 (―――!)

  身をこわばらせる。が、侵入者にしては、殺気が全くない。むしろ、懐かしさを感じる……。

  バルコニーから身を乗り出して、目を凝らした。人影の輪郭が、次第にはっきりしてくる。

  人影は、手を振っている。真っ赤なマント――隣にはチョコボ――懐かしい双眸――バッツ=クラウザー。

  ファリスは思わず、その名前を叫びそうになったが、彼は唇に人差し指をあてた。騒ぐな、と。

  慌てて言葉を飲み込んで、ファリスは改めて人影を見た。

  バッツは、バルコニーの真下に当たる位置までゆっくりと歩いていき、そこで止まった。そして、上を向いて、腕を広げた。

  何を意味しているんだろう。

  考えるより先に、身体が動く。ファリスはバルコニーの柵を乗り越えて、静かに飛び降りた――つもりだったが、バッツに受け止められる瞬間、思っていたよりは大きな音がした。

 (…………)

  思わず二人とも動きを止め、辺りの様子を伺う――が、警備兵が気づいた様子はない。同時にため息をついた。

  しばらくお互いの顔を見つめあった。周りは怖いくらい静かだった。息の音すら聞こえない。ファリスは、自分の心臓の音だけを聞きながら、何度もまばたきをした。

  バッツはゆっくりと、ファリスを降ろした。茶目っ気あふれる笑顔で、少し首を傾けながら。

 「バッツ……」

  声は震えている。こんなに近くに、彼の顔がある。手を伸ばせば、触れられる位置。

 「何で……」

  それしかいえない。話したいことなんて、いっぱいあるのに。

 「……そろそろいいかな、と思って」

 「え?」

  聞き返したのは、バッツの声が聞こえなかったからではない。いきなり、肩をつかまれ、顔の近くまで引き寄せられたからだ――正確に言うならば、バッツの口元が、ファリスの耳の側までやってきたから。

 「王女様を迎えにくる時期としては、一番良いだろう?」

  いきなり耳元でささやかれ、ファリスの身体はぴくりと動いた。

  心地良い、低い声。これは……バッツなのだ。紛れもなく。その事実に、涙が出そう。

  バッツは、ゆっくりとファリスから身体を離した。その顔を見つめながら、ファリスはバッツの言葉の意味を考えた。

 「……一番?」

 「そう」

  確かに――考えてみれば、そうだった。ファリス達が戻ってきてすぐは、警備が最も強化される時期だった。あれから3ヶ月、警備も薄くなってくる頃。

 「それに……季節もちょうどいい」

 「季節?」

  そんなものはタイクイーンには――と言おうと思ったが、やめた。さっきの夢が思い出される。

 「……リックスは、今、春なんだ」

  身体が震える。奇跡だ。あの夢は、奇跡の予兆。彼と出会えた奇跡。一緒の時を過ごせた奇跡。再会できた奇跡。

 「行くだろう? 約束――だったから」

 「………もちろん」

  涙声にならないように、ぐっとお腹に力を込めて。

  ファリスは、とびきりの笑顔で、自分の答えを告げた。

 

  リックスは春。桜が風に舞う季節。

 




 著者あとがき

 タイクイーンって四季なかったの?ていうか、クルルの世界にもないの?何でリックスだけ?

 とかいう突っ込みはしないでください……(涙)

 「いいのよ、そんなこと。バツファリ要素さえあれば☆」という寛大な心で読んでください……ごめんなさいごめんなさい。

 

 ていうか、この小説(らしいもの)で一番突っ込みたいのは、「前半の会話の意味、あるの?」ですね……。







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