勇気と素直
「一体どうなってんだ、この森は」
勢いでこの森に入ってしばらくたつが、その間にはっきりわかった事は自分が迷ったということだけだ。
「まいったなあ、こりゃ」
原因ははっきりしている。ちょっとした事で口論となり、頭を冷やす意味でここに入ったのだ。ただ、その後どう歩いたかをよく覚えていないのだ。ふと後ろを向くとつい先ほど自分が歩いてきた跡すらもない。
「……」
ファリスは村人が言っていた事を思い出していた。
『この森にはお化けが出る』
別にそんなものが出たら返り討ちにすればいいだけの事だが…。
「気に入らん」
あきらかにイライラしている。もともと口論の原因も、このイライラにある。しかも、彼女にとってとてもつかみ所がない感覚だ。しかも懐かしいのだ。一体何が自分をここまで悩ませるのだ?思い当たる事はある。瞳だ。気がつけばいつも目があった。顔を上げた時、振り向いた時、戦いの時。そちらを向くと必ず奴の目があった。ファリスと目があうと少年のように赤らみながら微笑んで、そして自分の用事を済ますのだ。なぜそんなに自分を見るのかわからない。いつしか彼女にとってその瞳は媚薬だった。知らず知らずの内に体中に染み渡り彼女の心をかき乱すのだ。
「バッツ…」
声に出さずにつぶやく。その瞬間が合図だったように彼女の頭の上で木がざわめいた。
(こんなところでじっとしているわけにはいけない。早く村に出ないと)
ざわめきの方へ目をやると遥かな蒼穹の中を渡り鳥が飛んだ。それを見たファリスはとりあえず登りやすそうな木に手をやる。瞬きする間にかなりの距離を上るが、まだ先は見えない。
「失敗…だったか?上にあがれば現在位置ぐらい…」
棘のある蔓が服に鉤裂きを作るがそんな事は気にしない。上る事によって先程まで彼女の体に渦巻いていたイライラを吐き出そうとしていた。しばらくののち、やっとの事で見晴らしのいい位置へたどり着いた。棘によるかすり傷にケアルをかけつつ、安定のある幹に体を寄りかからせた。
ムーアの森は美しい樹海だった。しかし、エクスデスの罠でその大半が焼き尽くされる。そして永きにわたって別れていた二つの世界がひとつになり、新しい世界ができあがったとき、焼け跡は砂漠へと変わった。豊穣の緑から不毛の砂漠へ。なんとも皮肉な話である。ファリスは皮肉な笑いで唇を歪めながら視線を遠くへ向ける。砂霞の中かろうじて見えるのは長老の木だ。その中にガラフの魂をいだいたまま沈黙するばかりの長老の木。おそらく守っていたものが全て砕け散ったからであろうが…。
「そうだ、もしかしたら」
クルルが彼女の飛竜と共に飛んでいくかもしれない。ファリスがクルルに言ったのだった。一人はさみしいから、出来るだけガラフのところへ行ってやれ、と。もっともクルルの方が行きたがっており、ファリスの申し出を渡りに船とばかりに出かけていっている。それがだいたい定期的なのでうまくすれば拾ってもらえるかもしれないのだ。しかし、彼女は何か目印になるようなものをと思ったが、まったく身につけていない。もともと散歩気分でこの森に入ったのだから、普段の旅支度など全て宿に置いてきている。黒魔法のアビリティでもあればと思ったが、彼女は今までその修練を積んでいない。
「…ますます気に入らん…」
悪態をつくがないものは仕方がない。結局当初の目的の通り、村と自分の距離を確認する事にした。
「そんなに歩いた記憶はないんだが」
村は遥か遠くに見える。彼女は方向を確認するとこの森の空気を胸いっぱいに吸った。
「今ごろみんな、何やってるかな?」
恐らくレナは果てなく続く舞踏会の主役を飾りつづけている事だろう。もう一人の主役だった自分にはどうにも耐えられない。クルルはガラフの所へ行こうとしているか、それともバッツと一緒に俺を探しているか。ファリスは、バッツは自分を探しているものだという事に対し、なんの疑問も持っていなかった。それに気がつくと再びあのイライラが戻って来る。
「一体これはなんだろう」
再び砂漠へと目を向ける。その時はっきりわかったのは、少なくとも自分はもとの世界を愛していたということだ。確かに自分が慣れ親しんだところはそのままだ。それでも感じる空気が違う。体のどこかが言うのだ。もはやあの世界は戻っては来ない。もう二度と。望郷に似たような、そんな事を理解した。ただ、それの影に隠れてもう一つ、違う感情があるのがわかっていた。きっとその二つがこのイライラの原因なのだろう。
考えても仕方がないのでファリスはすべるようにその木から降りる。上で見たという方向に当りをつけ、道なき道をすすんだ。しばらく行くと一軒家が見えた。内心やったと思いながら彼女はそこへ寄って行く。扉をたたいたが応えがなかった。
「…留守?」
どうやらそうではないらしい。裏から人の声と、鳥の羽ばたく音が聞こえた。失礼かと思いながらも低い柵を乗り越えてそこへ行くと、老人が一人、鳥たちと戯れていた。
「お嬢さん、ちょっと手伝ってくれんか?」
こちらから声をかけるまもなく老人は頼む。
「こやつらの餌やりを手伝ってくれ」
「俺はこの森で迷ったんだ。ご老人、ムーアの村までの抜け方をご存知か?」
「知っている。知っているがこの状態では満足に教えてやることができんのでな」
「承知」
ファリスは切り株で出来た卓の上におかれてあった鳥の餌を取ると、老人の横にいって餌やりを始めた。
「ほう、こやつら、おまえさんの事を気に入ったらしい。野生の鳥をなつかせるのはなかなか難しいのだが…」
「俺は今、魔獣使いだから…」
たわいない事を話しながらしばしの時を過ごした。やがて鳥たちは満足しどこへともなく飛んでいく。ファリスが体についた鳥の羽を払い落としていると、老人が小屋の中でひとやすみしないかと声をかけてきた。早く帰りたいのは山々だが、誘いを無碍に断わる気にもなれず小屋の中に入っていった。
「ご老人、これは…?」
さっぱりと片付けられた小屋の中には、そこには分不相応な武器が二つ掛けられている。出された紅茶を飲みながらファリスは問うた。一つは華美な装飾が施された一振りの剣。一つはどこにでもありそうなナイフ。どちらもとてつもない力を秘めている事がわかる。
「…お嬢さん、あんたはとても強い力の持ち主のようだね。この二つの武器はそれ相応の力がないと見えないように魔術をかけてある。もっとも、この小屋自体もまったく力を持たない人間には見えないよう、結界を張っているが」
彼は武器が掛けられている壁から二つの武器を下ろす。
「剣はブレイブブレイド。勇気あるものが持つことを許される。ナイフはチキンナイフ。臆病者だけが持つことを許される」
テーブルの上に二本を置いて、老人は詞を読み上げるように語った。ファリスは二つの刃に魅入っている。
「お嬢さんは何かとてつもない力に導かれているようだ。これらの武器が何かの役に立つやも知れぬ…」
独白のようにつぶやいた老人はファリスの目を見た。ファリスは老人とは思えないその眼光に一瞬めまいを覚える。
「お嬢さんにこのうちの一つを譲ろう。わしが持っていても仕方のないものだ。けどな、二本はやれん。この武器はわしの大事な宝だから」
「そんなに大事なものを…」
そうなら渡すなんて言わなけりゃいいじゃないかと思いつつファリスは剣とナイフに目を落とす。老人はこう続けた。
「自分を振り返りなさい。未来を見つめなさい。過去、現在、未来を通して自分が勇敢だと思えば剣を、臆病だと思えばナイフを取るがいい」
彼はそう言ったものの、ファリスはかなりプライドが高い。したがって自分が臆病者に見られるなど持ってのほか。彼女は剣に手を伸ばした。
「本当に、そうなのか?」
どこからか声がした。本当にしたのかどうかもわからない。ただ頭の中のどこかでそれを感じた。伸ばしかけた手が止まる。老人の方を見るが、彼が何かを言った様子はない。
「本当に、今も、これから先も勇気を持っていられる?」
また声。しかも、ファリス自身の声だった。瞬間、世界が溶けた。もやもやとした空間に自分と二つの武器だけが存在している。ファリスは聞こえてくる自分の声に向かって言葉を吐き出す。
「俺は勇敢だ!俺の、火のクリスタルは勇気の象徴だ!」
しばらく響くがその上から圧倒的な声が降りてくる。
「本当に、自分が何に置いても勇気を持って向かい合っている?」
大きな声という訳ではないがファリスの心にのしかかる。
「誰だか知らんが俺の声を真似るのはやめろ、この魔物め!」
「私はあなた」
押しつぶされまいと張り上げた彼女の声に対し、もう一つの声は淡々と答えた。
「あなたが隠そうと、臆病になっている部分のあなた」
「……」
「忘れてしまった?」
「………なにを?」
「昔、あなたが父親に持ってた感情」
「親父?」
ほんの少ししか覚えてなく、しかも会えてもすぐ別れる事になった俺の親父。それがどうか…。
「お父さんが、好きだった?」
「…す…き?」
自分にはあまり縁のない言葉だった。しかし、声が言う通り、ずっと昔、まだ彼女がサリサとして過ごしていた頃、彼女は父親が好きだった。
「好き…すき…」
口の中で転がしているうちに言葉が魔法のように広がる。言葉には魂があるのだ。そしてファリスの心も幼い頃へと戻る。なんでも輝いていたあの頃。そばには生まれたばっかりの妹も、病弱だけどやさしい母も、そして大好きなお父さんもいた。
「そうか、このイライラ…」
ずっと忘れていた恋をするという気持ち。父親を恋い慕ったあの頃の自分は、なんと素直だったろう。
「…ああ、懐かしいな…この気持ち」
「思い出してくれたね」
目の前には少女。幼き日の彼女自身だ。少女はファリスに抱きつくようにして、そして消えた。後に残ったファリスはつぶやくのだった。
「おかえり」
「…さん」
誰かが呼ぶ。
「お嬢さん。どうかしたのか?」
気がつけばもとの小屋。老人が心配そうにこちらを見ている。あの会話は幻だったのか、とにかくファリスは手を伸ばしたまましばらく動かなくなったらしい。
「白昼夢…?いや」
違う。自分の心の中ははっきりと澄み渡っている。確かにあの少女は自分に戻ってきたのだ。
「お嬢さん」
傍らの老人が声をかけた。
「素直でありつづける事はとても勇気が要ることだよ」
「…!ご老人、それは!?」
「わしゃ何も知らんよ。お嬢さんが自分の心とどんな会話をしようが。わしはただ、お嬢さんがひどく迷っているように見えたからの」
笑みを浮かべながら彼は言った。
「そのままではこの先の危ない橋は渡れんと思ってな」
「ではご老人が俺の迷いを取り除いて」
「それは違う。迷いをふっきるのはいつだって自分自身でしかない。わしはそのきっかけを作ったに過ぎんのだよ」
不器用にウインクをする老人。半ば夢見心地で話を聞いていたファリスはそんな様子に笑った。
「さてお嬢さん、笑っとるヒマがあったら早く選んでくれんか?」
「すまない」
微笑を浮かべたままファリスは二本の刃に向き直った。
「じゃあ…俺はこれにする」
老人に道を教えてもらい、選んだ武器を携えてムーアの村にたどり着いた時にはもうすっかり日が暮れていた。
「ファリスー!」
自分を呼ぶ声がした。振りかえらなくともわかる。声の主は彼女の後ろに来ると肩で息をした。
「なんだおまえ、ちょっと走ったぐらいで息切れなんかして。鍛え方がたりねえぞ」
振り向きながら悪態をついてみた。荒くなった息をなんとか整えながらバッツは応じる。
「おまえ、そりゃないだろ?こっちは散々おまえを探してたってのに」
「…クルルもか?」
「もちろん。ちょっと出ていくって言ったきり何時間も姿を消すなんて」
「すまんな」
やはり俺を探してくれていた。それだけでファリスの胸はいっぱいになってくる。そんな心を知ってか知らずか、バッツはファリスの謝罪の言葉を聞くと苦笑いしこう言うのだ。
「まったく、勘弁してくれよな。頼むから俺の目が届かないところには行かないでくれよな」
大きく伸びをしながらバッツは彼女に背を向けかける。それをファリスは止めた。
「なんだ?早くクルルに見つかったって言ってやんなきゃ」
彼女は貰った武器、ブレイブブレイドをさやから抜き地面につきたてる。
「そいつはどうしたんだ?」
問いには答えず彼女は切り出した。
「なあバッツ、あのな………」
それからしばらく後、彼らの長い旅が終わってから。ブレイブブレイドは常に勇猛果敢な女海賊の傍らにあったという。武器として使われるのではない。彼女が常に勇敢でいられるように、常に素直なままでいられるように、戒めとして彼女の傍らに置かれたのだった。
戻る