緑の部屋




「いい加減にしろよバッツ。俺の部屋ジャングルにする気?」
ジャングルとは全く言い過ぎだったが、タイクーン第一王女サリサの部屋は、たぶん誰の目から見ても一国の王女の私室として相応しくない。
なにしろ沢山の木が茂っている。
木といっても大きめの植木鉢に収まるような、小さな観葉植物の類だから、いくら年月をかけてもジャングルになる見込みはないだろうが、豪華な装飾が施された壁際に、隙間無く緑が置かれているというのは、どうにも異様な光景だった。
中には細長く背を伸ばし、高い天井にまで頭が届いているものもある。食べられる実が生るものもある。

「今度のは小さいからいいじゃん」
不機嫌に腕を組む王女閣下を、特に気にする風でもなく、バッツは新しい苗木を手に、大きな窓から続くバルコニーへ出て行った。ここもすでに、部屋に入りきらなくなった鉢植えに陣取られてる。
確かに、以前から置かれているそれらに比べて、仲間入りしようとしている新参者は貧弱だった。無造作に生えている雑草に混じれば、見分けがつかなくなるような若木だ。
とりあえず、今はまだ。
「植物は成長するって知ってるか?」
不機嫌に輪をかけながら、サリサ王女ことファリスは、鉢の設置場所に迷う男の背中に皮肉を浴びせた。
「お前もう来なくていいよ。来る度に増えるから迷惑だ」
「あ、酷え。ほんとに来なくなるかも知れないぜ」
「来なくていいって言ってる」
鉢植えに掛かり切りのバッツが振り返りもしないから、いつも以上に口調が辛辣になる。
「将来園芸屋でも開業するつもりかよ。大体どうして俺のところに持って来るんだ。世話する方の身にもなれ」

世界が落ち着きを取り戻すと、バッツはまた旅を始めた。
相棒のボコと共に気ままな二人旅。仲間達と出会い、世界の運命をかけた壮大な冒険を経験する以前の、彼の生き方に戻ったのだ。
ただ一つ変わった事と言ったら、特定の場所に立ち寄る頻度が高くなった事だろう。その特定の場所とはつまりタイクーン城であり、偶然近くを通ったから、といういつもの理由で、今日もふらりと姿を見せた。
ファリスの知る限り、バッツは週に一回の割合くらいでタイクーン城の近くを“偶然”通りかかっているようだが、冒険家としてこの辺りの土地によほど興味を引かれているんだな、などとは城中の誰も思っていない。
露骨に目的が見えている。
そうしてバッツがファリスの部屋を訪れ、ひとしきり話をして帰っていく度に、部屋の鉢植えが一つ増えた。それが積もりに積もって今の有り様だ。
一番最初に貰ったのはどれだったか、今となっては思い出せないが、始めの頃はファリスとて、この贈り物を素直に喜んで受け取っていたはずだった。
しかし物事には限度というものがある。

「お前が俺の事忘れないように」
「うわ、なんだよそれ。気持ち悪い奴だな」
大袈裟に眉を潜めながらも、気を取り直したファリスは続ける。
「身代わりなんか無くたって忘れないよ、バッツの事は」
あまりにも何気なく発せられた、思いもしない言葉に動かされて、バッツは無言で振り返り、ファリスに視線を注いだ。
「一緒に戦った仲間なんだからな」
「……あっそ」
ファリスが笑う。
「なに期待してんのお前」
「そっちこそ、俺が何か期待してるとでも思ってんの?」
バッツが澄ました顔で言い返す。
「思ってる。お前は単純だからすぐ分かる。目が期待してる」
「言ってろ」
小さな鉢植えは、一日中太陽と向き合う絶好の位置に腰を据えた。今度バッツが来る頃にはもう新しい葉が萌えているだろう。

給仕がティーセットを運んできたので、二人は室内のテーブルで向かい合った。
そろりそろりと、神経質なまでに慎重に、熱い茶が注がれた器を持ち上げるバッツの姿は定番になっていた。前にその不自然な動作の理由を聞いてみたところ、可憐な造りのティーカップだから注意深く扱わないと壊れてしまいそうで心許ない、などと答えたものだから、同じ仕種を見る度にファリスは可笑しくなる。
「こんな高そうな食器を出すから悪い」
ファリスの口元に浮かぶ微笑みの理由に気づいたバッツは、途端に口を尖らせた。
それから何を思ったのか、席を立つと、床の上にごろりと仰向けに寝そべってしまう。
上品な高級感を漂わせる、深緑のカーペットは大層寝心地が良いらしく、そのまま深呼吸をして目を閉じると頭の下に手を組んだ。
「気持ちいいぜ。お前も来いよ」
バッツの顎がすぐ隣の床を指し示す。
「馬鹿に見えるから嫌だ」
「さっきから台詞がトゲだらけで痛いんですけど…。まあいいから来いって」
「俺はお前ほど暇じゃねえの。昼寝したけりゃ一人で勝手にどうぞ」
「なあ、ファリス、来いったら」

狡い、とファリスは思う。
多分本人は無意識なのだろうが、計ったようなタイミングの良さだ。
だが迂闊にも、あるいは態と、ファリスはその姦計に嵌まる。
バッツが今日初めて自分の名前を呼んだという、ただそれだけの事なのに、気分が高揚する。
会えない時間の所為で、身体の中に固まっていた重たい感情が、柔らかく融けていく。
単純に、嬉しくなる。
そう、あんまり単純すぎて自分で呆れてしまうけれど。

態度だけは面倒臭げに素っ気無さを保ったままで、ファリスはバッツに近付き、腰を折って頭の上から見下ろした。
水晶体に逆さまに映った顔が笑う。
バッツの頭の下に敷かれていた右腕がスッと上がって、ファリスの目前に差し出される。
「わっ…!」
次の瞬間、ファリスはバランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。
引き倒そうとする力に抵抗する余裕なんてものは無く、下にあるバッツの顔面に激突しないように体をひねるだけで精いっぱいだったが、膝の一撃でも食らわせてやれば良かったと、広い胸の上に受け止められてから後悔した。
「なにすんだよこの馬鹿!」
手首を掴んでいる手を振り払うと同時に、密着した上半身を素早く起して怒鳴りつける。
転倒の原因であるはずの男は、悪びれた様子も無く、失敗か、と言った。
「なかなかチャンスが無いから作戦立ててみたのに」
どうやらあのタイミングで名前を呼んだのも計画の一部だったらしい。だとすればファリスの中のバッツ像を、少々書き換えなければならないかもしれない。
騙されたような気がしてやけに腹立たしくなったが、子供の悪戯みたいな浅知恵に本気で目くじらを立ててしまっては同レベルだと思い直し、駄々っ児に付き合ってやるような心境で、あえてファリスはバッツの隣に寝転んだ。
一瞬意外そうな顔をしたバッツも、すぐにまた目を閉じる。

静寂。
遠くの人のざわめきが、廊下を伝ってほんの微かに聴こえるのと、自分の呼吸音以外は、まるで静かだった。
開け放された窓から、ふうわりと床を滑るように風が流れ込み、髪や肌を穏やかに撫でていく。

「…な、気持ちいいだろ」
緑の匂いがする。
「…散々文句言うわりに、かいがいしく育ててるよなあ」
土の匂いもする。
「…ちゃんと植え替えもしてるみたいだし」
胸に広がる懐かしさ。

木々の狭間を歩き、草原を駆け抜けていた頃。
少し前まですぐ近くにあったのに、今は遠くなってしまった風景が見えた。
けれど、あの頃感じたのと同じ匂いが鼻孔を擽っている気がするのは、決して錯覚ではない。実際、この部屋は多くの植物に囲まれているのだから。
王宮の中で生きる以上、もう滅多に感じる事は出来ないだろうと思っていたのに、この部屋に居ればいつでも感じる事が出来るのだと、はじめて気がついた。

「…なあ、ファリス、聞いてる?」
そして、あの頃と同じように語りかけてくる声。
海の匂いは望郷に似た思いを引き起すけれど、緑の匂いはこの人の存在を近づけてくれる。
今でもこんな緑の中を旅しているこの人と、同じものを感じさせてくれる。
だから一人になっても、声が聞こえなくても、寂しさに耐えていられたのかもしれない。

不意に、手の平を包み込む温かさを感じて、ファリスは目を開いた。
「寝てるのかと思った」
思わず視線が合って、決まり悪そうな顔をしたものの、少しも離す気は無いらしいバッツの大きな手を、ファリスは柔らかく握り返す。
バッツが嬉しそうに微笑んだけれど、ファリスはすぐに余所を向いた。手を繋ぎながら見つめ合っていることなど、とてもじゃないが出来そうになくて。
重なった皮膚から二人分の脈が伝わってくる。

「…負担になってるなら、持って帰ることにするよ。引き取ってくれそうな伝手もあるしな。たくさんあるから一度には運べないけど、何回かに分ければ…」
突然切り出された脈略の無い話に、ファリスの思考はこんがらがった。
「一体何の話だよ?」
「この部屋の植物の話」
「なんで?」
「なんでってお前、迷惑だって言っただろう」
「…そんなこと言ってない」
しらっとしたファリスの言い分に、バッツが唖然とする。
「だってお前言ったじゃん!もう来なくていいとかなんとか」
「幻聴だろ。言ってないったら言ってねえの。だからこの話はもう終わり」
もちろん本気で否定してるわけではなく、失いたくないなどと今更素直に言うつもりにはなれなくて、人を食ったような返事になってしまったのだが、結局のところそれはバッツを喜ばせる言葉となった。
「それならそれでいいけど…」
呆れたような口調の中に混じる嬉しさを、まるで隠し切れていない。
「なんなんですか、その気変わりの原因は」
ファリスはやっぱり答えなかったけれど、バッツは重なった手にぎゅっと力を込めた。
緑の匂いが包む部屋の中で、二人の時間はゆっくりと流れる。









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