これから
いつにも増して風が強い。潮風はもともと強いものだが今日は特に強い気がする。ファリスはじっと座っていた。ここはウォルス塔跡。シルドラと最後に邂逅したところだ。きれいさっぱりと塔は沈み、そこに塔があったといわれても知らない人間は疑うだろう。唯一そこに大地があったということを証明するのは、彼女が座っている断崖のみ。そこから崩れさったのだ。
「……」
潮風に乗ってウォルス城下から賑わいが聞こえる。どこかの教会から鐘の音が聞こえてきた。二つ目のクリスタルが無くなってしまったというのに、人はどうにもならなくなるまで自分達が置かれている状況を考えない。それが頼もしくある反面、ひどく憎らしい時がある。ましてや彼女は長い間の親友を喪って、まだ三日しか経っていないのだ。心中推して知るべし。
「シルドラ」
泣いてはいない。もう涙も枯れ果てた。ぼんやりと水面を見つめる深碧の瞳には光が無く虚ろ。いつもは束ねられている髪も風に遊ばせているままだ。
「もう…いない」
どうして自分はこんな目にあわなくてはならないのだろうか?小さいころ海に落ち、海賊に拾われて以来彼女は男として生きる事を決心した。そうでなければ自分の境遇に耐えられそうになかったから。それまでの宮廷生活を含め、過去から自分を切り離さなくては。海賊達は自分に優しくしてくれたが、それでも彼女の心を開く事はなかった。どうしても、城にいる父や妹の事を考えてしまう。彼らはファリスが海賊とともに困難な生活を強いられている事を知らず、きちんとした服を着、食べ物を食べ、王族らしい生活をしている。幼いファリスはそれを思うと、幼いがゆえに悔しさが募った。自分も同じ生活が行えたはずだという事を知っていたからだ。
「私も、帰りたい…」
ちょうど今と同じように断崖状になった海岸に座りつぶやく。だがつぶやいた言葉に返すのはさざ波のみ。いや?何かの声が聞こえる。慌てて周りを見まわすと、海竜の子供が傷ついていた。通常海竜は深海にしか生息せず、人がこんな小さな海竜を見ることはないのだと、彼女がつれ帰ったそれを見て当時の頭目は言った。
「なつくことはないのだ。こんなところで暮らすより、海に流す方がいい」
頭目は言ったが彼女は聞き入れなかった。海竜の子供にシルドラと名をつけ、その日から二人は親友になった。似た境遇のせいか、心が通い合ったのだろう。何も言わずとも、言葉が通じなくとも、シルドラとファリスは長い時をすごす。ファリスはもう城の事をあまり思い出さなくなった。
「何で…こんな」
頭目が死んでから自分が荒くれ者どもをまとめはじめ、シルドラはその良きパートナーとなる。それから一年。もはや自分が王女だったなんて思っていない。あの日までは。
変な気配がして目がさめた。自室の窓の下に(といっても洞窟の穴だが)シルドラがいる。どうやら彼女達の船を盗もうとしている馬鹿者がいるらしい。
「バカな奴らだ。くだらない事で起こされたな、シルドラ」
海賊船は絶対に動かない。シルドラが動かない限り。ファリスは手下達をたたき起こして、その不埒者を捕らえようと船に乗り込む。侵入者は三人。若い男と、じいさんと……。かすかに面影のあるその顔は、紛れもない自分の妹、レナだ。それを理解するとめまいに襲われた。彼女はまだこちらに気がついていない。ファリスはとりあえず縛るよう命令し、一晩考えた。
「親父…行方不明だって?」
ほとんど記憶に残っていないタイクーン王の、それでも記憶の奥底に秘めていた大切な思い出。しばらくの後、彼女は心を決めた。
「結局は俺も、親父の子なんだろうな」
半ばあきらめたようにつぶやくと出航を言い渡した。
「あのとき、甘い事なんか考えなけりゃシルドラは…」
胡散臭いじいさん。つかみ所のない男。そして…レナ。レナには何も罪の無い事だが、ファリスは時々彼女がにくかった。自分だけが親父の子だという顔をして、なんの気がね無く親父の事を思い、泣ける。自分はこうやって一人たたずむしかない。なら名乗ってしまえばいいのだが、もう忘れられているかもしれない。それどころか、下手に名乗り出ようものなら暗殺の危険性すらもある。
「ま、少々の腕の奴なら返り討ちにしてやるけどさ」
自虐的に笑う彼女の髪は、ひときわ強く吹いてきた風にあおられる。あまりにばさばさするのでいいかげんまとめようと体を動かした時、視界の端に誰かの影を認めた。
「……いつからそこにいたんだ?」
「いや、さっきからずっといたさ、……隣、いいか?」
無言で少し脇に寄ってやる。バッツは礼を言うと隣に座り込んだ。
「隕石の様子を見に来たんだ」
それに、おまえの様子も。
後半は心の中で思っただけだった。ファリスは変に同情されるのは嫌いだ。
「そうか…。いつ出発だ?」
「明日には全部の準備ができるだろう。船が来ないから物資が足りなくてなかなかここから進めなかったが」
ファリスは応えなかった。無言で凪の海を見つめる。そう。自分たちは立ち止まる事を許されない。どんなにつらい事があろうと進まなくてはならない。
「俺達も、時々は休みたいな」
「…なに?」
「さすがに疲れ気味だよ、俺。ボコと一緒にのんきに旅してた頃が懐かしい」
「そうだなぁ。俺も野郎どもをあごで使ってた頃が懐かしいや」
「元はと言えばガラフのじーさんがいきなり隕石から落っこちてくるからいけないんだ。いや、タイクーンの王様が無謀な事しなけりゃ……」
「親父の悪口を言うなっ!」
荒げられた声。目を見開いてバッツはファリスを見つめる。
「お…やじぃ?」
しまったと言うように顔をそむける彼女。沈黙が続く。
「やっぱり…サリサ王女様だったんだな」
今度目を見開いたのはファリスだ。
「なんでそれを…!?」
「いや、俺のおやじってなんでか知らないけどタイクーンの王様と知りあいだったんだ。何年か前、まだ親父が生きてた頃に第一王女がいなくなったって話をしてた」
「でもそれだけで…」
「ああ。それだけじゃわからねえ。ただ、おまえさんがレナを見つめる視線はなんか違うんだ。仲間…っていうんじゃなくて肉親のそれなんだよな」
近くの小石を海に向かって投げながら言葉を選びバッツは続ける。
「決定的だったのは…そう、そのペンダントだよ」
何気なく風に揺られるままだったペンダント。ファリスはなんだかいけないものを出しているみたいで慌てて隠した。
「…何も隠さなくても。三日前、おまえがシルドラを追って海に入ろうとした時にレナが止めてたろ?あの時みえたんだ、それが。あんなに取り乱したおまえを見たのは初めてだったなあ」
思い出し笑いをし、くっくっと笑うバッツ。眉間にしわを寄せるとファリスは横を向いた。
「レナは気がついてなかったみたいだ。なんせほんの一瞬だったから…。で、前にレナに彼女のペンダントを見せてもらってたんだ。このペンダントを持っている人がいるならきっとそれが私の姉さんなんだ、って」
もう一個石を投げる。
「…レナはなんか言ってたか?」
「たった一言だけ。『逢いたい』と」
ファリスの眼から何かこぼれた気がしたが、バッツは見なかったことにした。
「なんで…名乗ってやらないんだ?」
「……」
「まあ色々あるんだろうけどよ。だけどせめてレナにぐらいは言ってやったっていいんじゃないか?」
風が柔らかくなった気がする。
「……今更」
「それは違うぞ。「今更」なんて言葉、軽々しく使わないほうがいいとおもうな。本当にどうしようもない事なんて、人生においてほんの一握りにしかならないんだから…、ってこれ、親父の受け売りなんだけどな」
照れくさそうに笑うバッツ。先ほどから鳴っている鐘の音が大きく聞こえ始めた。風の向きが変わったのだ。
「鐘の音か…。人生における節目の鐘。この鐘は結婚か、出生か、それとも葬式か…」
ファリスはつぶやくように言った。
「俺にも、転機が来たようだ。この鐘の音とともに…」
すっと立ち上がると町に向かって歩き出す。ちょっと立ち止まって、
「じゃあ、あとでな」
バッツにそう言うと彼女は思いきり走り出した。シルドラはもういない。ただ一人愛した友はもう戻ってこない。でも。ファリスは思う。それに縛られていれば次に出会うかもしれない友を失ってしまう。
(俺は見つけた。次に守るべき存在を。これから愛すべき仲間達を)
いつか必ず、近いうちにレナに正直に言おう。彼女はなんと言うだろう。なぜ黙っていたのかと怒られるだろうか?それともただ笑ってお帰りと言ってくれるだろうか?
「いずれにしてもきっと上手く行く。そう信じよう」
一人海岸に残されたバッツはまだ照れくさそうに笑っていた。
「まさか、旅の間で養った観察眼がこんなところで役に立つとはな」
ファリスは気がついているかな?俺がおまえを見ていた理由。俺もそこまで言う気はないけどな。彼は心の中で一人ごちると、隕石の方へ歩いていった。確かにつかれているのは事実だ。それでも、何かが駆り立てる。自分の心に宿る「風」の魂だろう。風は一所にいる事はないのだから。
「『火』のあいつと『風』の俺。結構いいペアだと思うんだがなぁ」
岩をなでつつ彼は思う。この先には何が待っているのだろう。どんな冒険が俺達を待ちうけているのだろう。心がはやる。たとえどんな困難に巻き込まれても、俺はあいつのそばにいてやりたい。そんな事を思いながら彼はその場を後にした。
戻る